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九十九島の 海を歩く

九十九島の 海を歩く

岡本幸実

九十九島シーカヤックガイド協会会長

 

「海を歩く」。この言葉が気に入っている。シーカヤックを漕いでいるとき、まさに海の上を散歩しているような気分になる。

人類は二足歩行から始まった。陸地だけでなく、シーカヤックという最小限の道具を使って、海の上を歩くことは古くから行われていた。それは人類のDNAに備わっていたものなのだ。だからアフリカの谷に生まれた人類は海を渡って地球の果てまで広がった。シーカヤックは二足歩行の延長線にあって、人類は早い時期から海を歩くことが出来たわけだ。

昭和62年頃、東京から来た一人のカヤッカーがシーカヤックを佐世保に伝えた。それを知った「トモさん」が九十九島の海で始めた。

そんな時、僕は「トモさん」と会った。彼は塚原卜伝のごとく極意のようなものを語ってくれた。いろいろ教わったけれど、結局は自分で漕ぎだして、戦場で憶えるしかなかった。穏やかな九十九島の海も、カヤックを始めたばかりの僕には戦場だった。

それまでレジャーボートの上からしか見てなかった風景は、全く違う世界になった。視線の低さは海を身近に感じ、波といっしょに呼吸するような気分にさせた。感動という喜びを僕にもたらした。

僕はアウトドアショップ「フリーダム」を始めた。そして、日本で初めてのシーカヤッククラブが誕生した。25年前のことだ。

シーカヤックの楽しみ方は人それぞれだ。体力の限りレースを競うもの。島に上陸してビールを楽しむもの。海鳥と語らうため、また釣りをする道具として。50キロの荷物が積めるので、海旅をするものもいる。100人のカヤッカーがいれば、100通りのシーカヤックスタイルがあることを知った。

カヤック人口が増えて、九十九島にあちこちからカヤッカーが来た。佐世保は日本でのシーカヤックの草分け的存在となった。

僕はシーカヤックを通じてたくさんの人と出会った。無寄港でカリフォルニアからハワイまで63日間も漕ぎ続けたエド・ジレットは、友人である。彼は「九十九島は箱庭だ」と言った。オーストラリア一周を世界で唯一人成し遂げたニュージーランド人のポール・カフィン。彼も友達である。

シーカヤックは未だ理解されないことが多い。それは説明するのが大変だからだ。別に免許も要らないし、「はい、行っておいで」と言うだけで、本来のDNAで漕ぐことが出来る。簡単だからと言って、海を舐めるのは危険だ。無知であることは罪である。

僕自身たくさん間違ってきた。

テクニックにこだわり過ぎたかも知れない。始まりは海と戯れることだったので、それが楽しく、長く留まり過ぎたかもしれない。美味いビールが悪い。

たくさんの島があるために、九十九島の海は穏やかでシーカヤックに適している。優美な姿を見せる島影の間をのんびり漕ぐことは実に楽しい。だから、つい海が危険ということを忘れがちになるのだ。

誰もが、船長にならなければならない。遊びとか、初心者とか、言い訳は通用しない。なにしろ大自然が相手だから。

最後に、南九十九島で本当にあった話をしよう。

クジラが迷い込んだことがある。元ノ島に乗り上げ、12メートルもの巨体を横たえたマッコウクジラ。汐は吹くし、尾ビレをバタバタさせて狂うし、信じられない光景だった。僕はシーカヤックで漕ぎ寄り、鼻の穴のデカさに驚いた。「コレは哺乳類だ」と納得した。牛の鼻と似ていたからだ。

あるとき漕いでいる目の前で、入場料無しでイルカがジャンプしてくれた。並んで泳ぐイルカに同属意識を感じた。

またあるときは、海面に垂直に立つ黒い背びれに遭遇した。ズン、ズンと「ジョーズ」の音楽とともに接近してくる。

「ウソだろ!?」と心の中で叫び、パドルで叩いてやろうと、僕は震えながら身構えた。間合いに入る直前、尾ビレを翻しUターンした。彼は高々3~4メートルの長さ。僕とシーカヤックは6メートルだから勝ちだ。ふー、助かった……。