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消えた2つの鉄道跡をサイクリングする

消えた2つの鉄道跡をサイクリングする


 
No.22

MR佐々駅〜吉井〜世知原〜山暖簾〜冬越峠〜柚木〜MR左石駅


取材日:2010.09.17

のどかな風景を楽しみつつもしっかり運動不足を解消するならココ!

佐世保市の世知原周辺に突如車道の横に現れるサイクリングロード。廃線になった炭坑列車の線路がサイクリングロードに。「ここ走ったら気持ちいいだろうな〜」とずっと気になっていましたが、ついにルートが判明!なるほど、たどってみれば佐世保を半周できちゃう楽しいコース。山々を眺めながら世知原の里山風景を自転車で駆け抜け、カラッとした秋の空気に緑の香りが心地よいブレンド。

途中、建築家の黒川紀章氏のプロデュースにより建てられた公共の宿「山暖簾」にて山々の風景を楽しみながらランチや温泉休憩に寄り道も。さらに「車の多い道は走りたくない!」というあなたには佐世保から伊万里へと走るローカル電車、松浦鉄道を活用することをおすすめします。なんと自転車を解体せずにそのまま乗り込むことも可能(要予約)。佐世保中心地の大通りを避けて、のんびり田舎道だけを楽しむこともできちゃいます。そんな佐世保ならではのひと味違う自転車旅はいかがでしょう?。


消えた二つの鉄道でサイクリング

市内に二本のサイクリングロードがあることを知らない人は案外と多い。いずれも廃線になった鉄道跡である。そこでこの二本をつないでサイクリングコースを考えてみた。

佐世保駅から自転車ごとMRに乗車する。佐々駅からスタートして旧道に入り、MR松浦線沿いに進んだ。車が少なくて快適な走りだ。」

吉井駅の先で『国鉄世知原線』は右に折れていた。その線路跡は驚くほどくっきりと、県道より少し高い所に続いている。石炭を積み出すのが主だったから、駅は『祝橋』の近くに一つだけあった。松浦炭鉱鉄道時代の唯一のホームが残されている。『祝橋』は大きな石橋で、川縁まで降りると、橋の下は砂岩が深く浸蝕されて見事な景観だ。

世知原駅の跡は公園になっている。近くに『炭鉱資料館』があるので立ち寄った。昔の炭鉱の様子が写真や道具で展示されている。飯野炭鉱の坑口も残っていた。

さらに進むと槍巻で交差して県道を上っていく。これから勾配が増してジグザグ道となる。自転車には一番応えるところで、ギアを最小にしてペダルを必死に漕ぐ。『山暖簾』の看板を見つけて向かうことにした。そこで一休みだ。

テニスコートを右に見て、初夏にはアジサイが奇麗な道を行くと、やがて『冬越峠』の標示がある。国見岳から延びる支稜を越える峠で、大正時代に出来た切通しの道だ。この細い道を通って柚木方面に下ることが出来る。

杉林の中のS字カーブを下り、筒井方面の道標を左に折れる。杉林の細く急な坂を下ると、途中に『イボ石様』という古い信仰を見つけて立ち寄った。昔からの民間信仰で薬師如来が安座している。

柚木に降りて行く筒井の道は実に爽快だ。風が体の中を通り過ぎていくような気分で、秋の陽に相浦谷の里山風景が輝いていた。

坂道を降り切ったところが柚木駅の跡である。いまは市営アパートになって名残もない。ここから大野の左石まで続いていたのが『国鉄柚木線』で、やはり線路跡は相浦川沿いのサイクリングロードとなっている。細い道が家々の庭先をかすめるように続いているのが面白い。

やがて大野中学校の下を通り左石駅に着いた。

山と谷と街と里をつないだ、約28キロの手頃なサイクリングツアーだった。


write:有限会社ライフ企画社・小川照郷

松浦鉄道にはサイクリング列車があって、土・日・祝日、春・夏・冬休み、ゴールデンウィーク、上下各4便、自転車を無料で乗せることが出来ます。予約が必要ですので、お申込み、お問い合わせは0956-25-2229(松浦鉄道)まで。

距離 28km

所要時間 5時間(昼食時間含む)
標高差 24m
始点標高 1m

累積標高(+) 527m
累積標高(+) -503m

※GPSのデータをカシミール3Dにて編集しています。正確でない場合もありますのでご了承ください。



より大きな地図で コース22 線路跡サイクリング 佐々駅〜世知原〜左石駅 を表示

世知原茶

国見山系の豊かな森が良質な水源を保つ世知原は、比較的に雨量が多く、涼しくて高品質のお茶が育つところである。蒸製玉緑茶という製法で仕上げられ、香り深い味わいが楽しめる。

日本茶は臨済宗の栄西禅師が栄より平戸に種を持ち込んだことが始まりとされる。平戸にほど近いこの地には古くから茶樹が自生していたそうだ。

柚木線と世知原線

昭和42 年の大水害を契機にして国鉄 柚木線が廃止された。もとは、石炭を運び出すための軽便鉄道であった。当時のホッパーを利用した住宅が池野あたりに残っている。

昭和45年には、国鉄世知原線も廃線となった。この線路は臼浦線とつながり、臼浦港から石炭を運び出していた。世知原が石炭で賑わったころの歴史は「炭鉱資料館」で知ることが出来る。写真は当時世知原線を走っていた蒸気機関車。

昭和42 年の大水害を契機にして国鉄 柚木線が廃止された。もとは、石炭を運び出すための軽便鉄道であった。当時のホッパーを利用した住宅が池野あたりに残っている。

昭和45年には、国鉄世知原線も廃線となった。この線路は臼浦線とつながり、臼浦港から石炭を運び出していた。世知原が石炭で賑わったころの歴史は「炭鉱資料館」で知ることが出来る。写真は当時世知原線を走っていた蒸気機関車。

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