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市役所から佐々まで

市役所から佐々まで


 
No.17

市役所前〜堺木〜中里〜半坂峠〜佐々


取材日:2010.08.27

いつもの道でタイムスリップ。佐世保在住の方には馴染みの道をちょっと一本入っただけで見えて来る世界がぐーんと深まる不思議な道。お殿様をお籠に載せて行列をなして歩いていただろうと思われる道は、現代の「メインストリート」のイメージとはほど遠く、両手を広げたらいっぱいになってしまうほどの細い道。猛暑日だった取材日は、お籠どころか自分の水筒ぶらさげて歩くだけでも精一杯という暑さでしたが、2万歩の距離を4時間程かけてみっちり歩いた充実のウォーキングルート。

 

戦国時代とまで遡らずとも、未だ昭和の香りただよう路地裏の商店をひとつずつ目で追う楽しみも。近頃は大きな量販店で一度にまとめて買い物するのに慣れてしまったけれど、「今日はお野菜がないから八百屋さん」、「お豆腐切らしたから豆腐屋さん」、「ざるが壊れたからざる屋さん」と必要なものを必要な分だけ、それぞれのスペシャリストのところに訪ねにいく生活スタイルの良さもあらためて身にしみてくるほのぼのウォーク。


街と野と、川と峠を越えて平戸往還

水道局の裏、西光寺の門前を通る往還をスタートして北上する。まず城山町から俵町にかけては市街化でほとんど『平戸往還』が消えている。それでも俵町の裏手には黒板製作所や老舗の和菓子屋があって、なんとか街道の名残がある。そこから線路向こうの旧道に続くのだが、元禄年間の古地図に書かれている『三本松茶屋跡』の一里塚は、大正橋の上の方にあったという。そこから線路を横切って、現在の国道に沿って続いていた。

春日神社の前を通り堺木へ。ここには明治32年建造の岡本水源地から水を引いた『減圧井』が残っている。西蓮寺の下をまわるように相浦川沿いに進む。地名の『左石』は、平戸から見て左側に大石があったからという。やがて吉岡町の希望ヶ丘団地の中を歩く。このあたり道は驚くほど真っすぐ進んでいて、中里宿へと続いている。本陣があった中里宿は、佐世保が海軍鎮守府開設で激変する前まで、相神浦筋郡代役所が置かれ、行政の中心であった。

中里で直角に折れて相浦川を渡る。古くは飛び石があった。国道の左に石垣沿いの細い道があって、やがて国道を渡って嘘越から半坂まで真っすぐに上っている。かなり急勾配の道である。振り返ると、遠くに九十九島が見えた。この辺りは戦国時代、平戸松浦氏と相神浦松浦氏の間で『半坂の戦い』があったところ。

坂を登り切る手前に、昔のまま平戸往還が草に埋もれてあった。それを上ると半坂峠の『駕籠立て場跡』だ。平戸の殿様の行列も駕籠を置いて一休みした場所だ。そこから一気に口石まで下りていく。人家もほとんどない。坂を降り切ったところ、木場川の流れにメダカを見つけて喜んだ。やがて『口石一里塚』の跡、榎の古木が立っている。

佐々町の国道沿いに出ると車の音がうるさくて、これまで歩いたのが静かな山の中だな、と改めて感じた。

三柱神社の少し先に『東光寺』がある。寺の裏山には中世山城の跡が。『半坂の戦い』には東光寺の僧兵も参加した。

街をぬけ、野や山を歩いた楽しいウォーキングだった。


write:有限会社ライフ企画社・小川照郷

距離:15km

累計標高:387m

所要時間:6時間
(休憩合計60分・食事休憩60分を含む)



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伊能忠敬が測量

「七十に近き春にぞ あひの浦
九十九島をいきの松原」

文化9年(1812)、伊能忠敬は『大日本沿海與地全図』を作る測量のため佐世保を訪れている。

この歌は忠敬が九十九島を歌ったもの。

測量隊は二手に分かれ、忠敬は針尾島を一周して佐世保湾沿いを測り、 別の隊が平戸往還を歩いて測量している。写真は松浦資料博物館に所蔵されている九十九島が描かれた「伊能図大図」

昔、川には橋がなかった

市内を通る平戸往還はたびたび川を渡っているが、その時代は防衛の為に、藩がほとんどの川に橋を架けなかった。

「飛び石」を渡っていたから、水嵩が増す雨のときは難儀しただろう(広田の小森川にだけ、橋が架かっていたようだ)。

『西遊日記』を残した若き吉田松陰が平戸遊学のとき平戸往還を通っている。相浦川を渡るときは小雨模様で、飛び石を用心して渡ったことだろう。

 

 


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