宗家松浦氏の名残が、 愛宕山の山裾に息づいている。
相浦富士と呼ばれる愛宕山に登ろうと、MR中里駅から歩きだした。田園風景の中を進んで平戸往還に突きあたる。右折して中里の町へ向い、途中で東漸寺に立ち寄る。山門に立つ大楠は樹齢五百年と言われ、根が石段に食い込んで見事な枝ぶりだ。東漸寺は宗家松浦氏と関わりある古刹で、墓地には武辺城の城主であった松浦盛公の墓がある。宗家松浦十三代盛は、室町時代初頭に今福(松浦市)から相神浦の武辺城に本拠を移した人物である。
中里は平戸往還の宿場町として栄えた。本陣であった西牟田酒造にその名残を見る。左折して武辺の旧道を歩く。緩やかな坂を上がると、右手に大宮姫神社がある。平安時代に相浦を開拓したと言われる武辺胤明が建てたものと伝えられ、いまの建物は江戸時代のもの。県内の神社建築物では最古である。
上相浦の踏み切りを渡ってまっすぐ進むと相浦川にぶつかる。川の中に昔ながらの飛び石が渡っている。子どものような気分になってぴょんと渡った対岸は『門前』と呼ばれるところ。まっすぐ急な坂の上に愛宕山が見える。古くはこの上に洪徳寺があったという。それが『門前』の由来である。
戦国時代、愛宕山には飯盛城があった。宗家松浦十六代親(幸松丸)の居城である。この城を平戸松浦は二度にわたって攻めている。
左に曲がって山裾をまわり込むように進むと武辺胤明を祀った木宮神社があった。坂を下って行くと右手に「愛宕山入口」の看板がある。
さあ、いよいよ愛宕山登山だ。墓地の横を通って進んで行く。一本道だから迷う心配はない。最初は緩やかだった道が急勾配になってくる。わずか二十分の登りだが、額からは汗が流れる。何度か立ち止って水分補給をする。歳の数だけ叩くとご利益があるという『カンカン石』を見つけると頂きは近い。
山頂からの眺望は素晴らしい。相浦川が緩やかに流れ、河口の向こうには九十九島の海が光る。
山頂に祀られるのは『愛宕将軍地蔵』。白馬に乗った鎧姿の地蔵菩薩は珍しい。本尊は通常、東漸寺に安置されていて、毎年2月24日から26日の『相浦愛宕祭り』には住職の手で運び上げられる。祭りの時には山頂に参る地元の人で登山道に列ができる。
山を下って相浦商店街を歩くと洪徳寺や金照寺などの古刹や古い家並が目につく。港に続くこの通りで『あたごさん市』が行われる。カマやクワの農具や苗木を売る露店が並んで賑わう。
MR相浦駅から帰途に着く。ホームに上がると、ここにも潮の香りを含む風が吹いていた。
|
|
|
中里宿の一画にある創業80年余の「江口製菓舗」。丸房露が人気。 | 相浦の商店街にある創業百年余になる老舗「徳饅頭」。 こし餡の饅頭がうまい。 |

あたご祭りととあたごさん市
愛宕山は相浦富士とも呼ばれる。富士山に似た円錐形の山だ。山頂に「愛宕将軍地蔵 」が祀られ、毎年2月24日~26日の3日間、『あたご祭り』がある。 愛宕将軍地蔵は宝珠を持ち鎧を着て白馬にまたがっている。いつもは中里の東漸寺に安置されていて、祭りの時だけ住職が背負って山頂まで運び上げる。
昔からその期間中には山裾で「あたごさん市」が行われた。だが近年は土日を挟んで行われる。冬の寒い日に行われる市のためか、 「あたごさんの風に吹かれれば病気にならん」と言われて賑わった。