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佐々から江迎本陣まで

佐々から江迎本陣まで


 
No.18

MR佐々駅〜江里〜高岩〜江迎本陣


取材日:2011.02.25

国道一本内側に入ると広がる豊かな自然。

山奥まで出向かなくとも道一本奥に隔てるだけで、情緒のある落ち着いた街並、そして豊かな緑が広がり、違う時の流れを感じさせてくれる、ゆったりとしたウォーキング。江迎本陣のような昔の面影がそのまま残るお宿の存在もまた面白い!年に数回、それも1度にたった1晩しか利用されなかったというのにこの贅沢さ。。。ほんの少しの間、お殿様がおくつろぎになるためだけにつくられた眺めのよいお庭や情緒が育まれるような豊かさを感じる空間。平戸街道を歩きながら、たとえお殿様でなくとも、身のまわり小さな自然や景色からも心を潤せるような感受性を失わないようにしたいなと思わせてくれるウォーキングルートでした。よく歩いたご褒美に江迎本陣(潜龍酒造)でおみやげに日本酒を購入。帰宅後も余韻楽しんで♪ウォーキングでほどよく疲れた身体をまろやかなお酒が癒してくれるのでした。


江里峠を越えて続く江戸時代の道

MR松浦鉄道で佐々駅まで行って、まず東光寺の門前に向かう。その前を通っているのが『平戸往還』である。そこから佐々中学校の裏手の道を進んで行くと佐々川に突きあたるのだが、いまの国道を渡る橋ではなく、少し上流あたりを昔は飛び石で渡っていたのだろう。それからほぼ国道に沿って進んで行き、小道に入るとのどかな田園になった。そして鎌倉神社の前を通って、佐々皿山公園に着いた。ここには江戸時代、三川内焼の流れをくむ窯跡があって、瀬戸焼の祖である加藤民吉が磁器づくりを学んだところと言われている。

橋を渡って住宅街を進んで行く。そのまま行くと山合いにくねくねと旧道が続いているのだけど、今回は江里川の対岸を行くことにする。車道と重なって新道が通っている。急な坂を汗を流しながら進むと、やがて江里峠(標高130m)に着いた。ここで旧道と合流している。『江里峠駕籠立場』の碑があって、槇の巨樹がある。昔は茶屋があったというが、その面影を残している。

雨の日に平戸往還を歩いた吉田松陰は、足元がぬかるんで苦労したと『西遊日記』に書いている。ここから先は驚くほど林の中に道が残っている。

谷に降りて、川と交錯しながら続いて行くが、面白いことに『沈下橋』がある。以前は川と道は平面交差していた。

高岩のところも道は二つあって、旧道は崖沿いにわずかに残っている。それから大きな砂岩を見上げながらガードを潜って、ようやく国道に出た。川沿いに歩道があって、そこから橋を渡って対岸に行く。坂道を登り越えると、江迎の町だ。街道は寿福寺の下を通って、やがて江迎小学校跡に着いた。ここに『吉田松陰腰掛石』と呼ばれる石が残っていて、約10キロを歩いた現代のウォーカーは、若き松陰を忍んで、その石に腰かけて汗を拭った。江迎には平戸の殿様が泊まる『本陣』があった。それはいまも潜龍酒造に残されている。

『させぼの歩き方』では、平戸街道をほぼ10キロごと四つに分けて歩くけれど、江戸時代の殿様行列はその三つ分、江迎から早岐までを一日で歩いた。昔の人は健脚だった。ぼくらも負けずに歩こう!

 

 

江迎本陣(潜龍酒造)は殿様のお宿

国道沿いに漆喰の白壁の蔵が並んでいる潜龍酒造。ここに平戸の殿様が参勤交代や長崎勤番のときに泊まった江迎本陣がある。水琴窟(すいきんくつ)、裏山を背景とした池の庭、『沈水舎』と名付けられた御成りの間などが、昔のままに残されている。創業323年という酒造りの酒蔵も見事な建物で、県の文化財に指定されている。

潜龍酒造は4月2日、3日、『本陣蔵開き』を開催。蔵開き限定酒が披露されるほか、323年の歴史木造酒蔵や、本陣屋敷が一般公開されます。利き酒や餅つき、茶会などのイベントもありますので気軽にお出かけを。問い合わせは0956・65・2209(潜龍酒造)まで。


write:有限会社ライフ企画社・小川照郷

距離:13km程度
所要時間:4時間程度
標高差:0m
累積標高(+):+353m
累積標高(-):-353m

区間   距離 所要時間 標高差
1 MR佐々駅 〜 東光寺門前 0.5km 10分 +5m
2 東光寺門前 〜 佐々皿山公園 1.2km 40分 +8m
3 佐々皿山 〜 江里峠下橋 1.6km 70分 +75m
4 江里峠下橋 〜 高岩 3.8km 60分 -86m
5 高岩 〜 江迎本陣 2.2km 60分 -2m
    13km 4時間00分  
         


より大きな地図で コース18 佐々から江里峠を越えて江迎本陣まで を表示

瀬戸焼の祖・加藤民吉と佐々皿山

 

平戸往還は佐々皿山公園の近くを通る。

 

かつてここに三川内焼の分流の市ノ瀬窯(福本仁左衛門)があった。瀬戸から来た民吉は身元を隠し弟子となり、磁器づくりの技を学んだ 。

 

そして故郷に戻って、瀬戸焼の陶祖となった。

 

 

 

若き吉田松陰は江里峠で泥まみれ

 

嘉永3年(1850)、21歳の吉田松陰は平戸遊学に向かって、この往還を歩いた。

 

彼が書いた『 西 遊日記 』には、雨で道がぬかるんで江里峠を難儀し、ようやく庄屋の家に泊まったことが記されている。

 

 


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