させぼの歩き方≪佐世保のトレッキング・カヤッキング・サイクリング情報サイト:させぼエコステイ≫
トレッキング
ウォーキング
カヤッキング
平戸往還
サイクリング

浦頭から針尾島を歩く歴史の道

浦頭から針尾島を歩く歴史の道


 
No.12

浦頭引揚記念平和公園〜虚空蔵山〜楠本端山旧宅〜針尾城跡〜無線塔〜コラソンホテル


取材日:2010.12.24

「島」というと、ちょっと遠くて、冒険をしないと辿り着けないイメージでしたがここ針尾島は街中からいつの間にか辿り着いているような島。でもそんな身近な島も一歩ずつ歩いてみると、どこか島らしさが漂い、他の市内とはどうも何かが違う。

まず地図を見るだけでもその入り組んだ地形に未知の世界を感じてワクワク。

実際に歩いてみると陽当たりが良く、見渡しも良く、空も広い。

緑にあふれた島はお日様の恵みをいっぱいに受けた地元の産物、西海みかんや冬野菜が元気よく育っていて、ただ歩いているだけなのに思わずニンマリ。

本能的に食べ物に囲まれている事で得られる安心感と満足感からなのか、なぜか歩いているだけで不思議と開放的で明るい気分になれるそんな島。

 

自然だけでなく歴史の奥深さも感じさせてくれる。

戦後のアジア諸国からの引揚第一歩の地となった浦頭。そして第二次世界大戦の開戦を伝える暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信した天高くそびえ立つ針尾無線塔。針尾城の城跡には今も土のお堀の跡があり、当時の面影が感じられる史跡も楽しめる約14キロの充実のウォーキングコース。ゴール近くのグルメ事情も充実。冬は牡蠣焼きが食べれるし、近くの食堂ではあらかぶ(かさご)定食なども食べれるのでおすすめです。


歴史がいっぱいの針尾島

浦頭引揚記念平和公園から歩き始めた。浦頭は戦後、約140万人の海外からの引き揚げ者が上陸したところ。戦争の悲惨さを物語る地だ。そこから急な坂を登って浦頭の台地に上がると、畑の中ののんびりした道が続く。針尾島に深く入り込む江上浦が望めた。途中で虚空蔵山に登った。山頂には古い石仏が並んでいて、景色は360度の展開だ。佐世保港と、さらに奥に佐世保の街が望める。

道を戻って岳田を進むと、国道202号線に一度出るが、なるべく静かな道を歩こうと脇道に逸れて、葉山に向かった。葉山には江戸時代の武家屋敷を彷彿とさせる石垣があちこちに残っている。『楠本端山旧宅』を訪ねる。

楠本端山の家は武家屋敷の様子を残した建物で、屋根瓦は平戸藩特有の右伏せになっている。幕末の儒学者として知られる楠本端山が、弟の碩水と共に門弟を教えた『鳳鳴書院』も再建されている。

葉山からほぼまっすぐに畑の中を伸びる道を進んで行くと、遠くに三本の『針尾無線塔』が見える。無線塔に行く前に、海岸の方に行くと、そこは小鯛浦という小さな入り江。戦国時代に針尾伊賀守の居城『針尾城』があったところだ。針尾氏は大村の国人だが、反旗を翻して、当時ポルトガル貿易の港として栄えた横瀬を焼き打ちした豪族である。その山城跡に登ると、いまも二重の空堀が残っている。

小鯛から『戸御崎神社』の横の道を登って行くと、大平洋戦争の開戦を告げる「ニイタカヤマノボレ」を発信したと伝えられる『針尾無線塔』がヌッと姿を現した。近づくと、あまりの大きさに圧倒される。

西海パールラインの自動車道を跨いで、古里の集落へと進んだ。道の向こうに大村湾が輝いていた。小坂を下って行くと、海辺に椋の巨樹が立つ。そこから防波堤沿いの道を歩いて、崎針尾の港に着く。赤く塗られた『七郎権現神社』があり、鳥居は海に向かって立つ。振り返ると高台には西海橋コラソンホテルの地中海風の建物があって、なんだか不思議な気分になった。


write:有限会社ライフ企画社・小川照郷

距離:14km程度

所要時間:4時間程度

標高差:23m

累積標高(+):+478m

累積標高(-):-501m

 

区間     距離 所要時間 標高差
1 浦頭引揚記念平和公園 〜 虚空蔵山登り口 1.8km 30分 76m
2 虚空蔵山登り口 〜 虚空蔵山 1km 25分 90m
3 虚空蔵山 〜 虚空蔵山登り口 1km 15分 -93m
4 虚空蔵山登り口 〜 楠本端山旧宅 1.9km 35分 -92m
5 楠本端山旧宅 〜 小鯛 2km 30分 -14m
6 小鯛 〜 針尾城跡 0.3km 10分 17m
7 針尾城跡 〜 戸御崎神社 0.5km 8分 -6m
8 戸御崎神社 〜 無線塔 0.8km 15分 37m
9 無線塔 〜 古里(国道) 2.2km 32分 -19m
10 古里(国道) 〜 七郎神社 1.8km 30分 -32m
11 七郎神社 〜 コラソンホテル 0.7km 10分 13m
      14km 4時間  
           


より大きな地図で コース12 歴史がいっぱいの針尾島をテクテク を表示

楠本端山は幕末の儒学者

針尾の葉山に端山とその弟の碩水が創設した『鳳鳴書院』には、全国から多くの門弟が集まった。明治になって世の中の目が西洋に向いて行くとき、儒学者楠本端山は、新政府に建白書を送るなど、毅然として保守的な姿勢を貫いた。

針尾伊賀守の夢の跡

永禄六年(1563)、ポルトガル貿易の港であった横瀬浦が焼き打ちされる事件が起った。イエズス会の教会も焼かれ、日本に来たばかりの宣教師ルイス・フロイスもその事件に遭遇した。大村の国人であった針尾は平戸方につき、以後は針尾島の支配をめぐって大村と平戸の間で戦いが繰り広げられる。

城跡の発掘では中国の焼き物などが多数発見されていて、東シナ貿易にも従事していたと思われる。針尾瀬戸に面する小さな城の主だったが、その目は海外に向いていたのではないか。

 

三本の無線塔

この無線塔から発せられた「ニイタカヤマノボレ」が太平洋戦争の始まりを告げたことはよく知られる。いままさに無用の長物として立つだけだが、巨大なコンクリート建造物は近代化遺産として見る者を圧倒する。

キーワード: